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名古屋地方裁判所 昭和53年(ワ)2327号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

佐藤典子

伊神喜弘

被告

住友化学工業株式会社

右代表者代表取締役

土方武

被告

住友アルミニウム製錬株式会社

右代表者代表取締役

糸井平蔵

被告ら訴訟代理人弁護士

松本正一

橋本勝

森口悦克

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告と被告住友化学工業株式会社との間で、原告が同被告に対して雇用契約上の権利を有することを確認する。

2  原告と被告住友アルミニウム製錬株式会社との間で、原告が同被告に対して雇用契約上の権利を有することを確認する。

3  被告らは、原告に対し、連帯して昭和五三年八月から毎月二五日限り一か月金一四万三一一〇円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  3につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文一、二項同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和三六年五月一〇日、被告住友化学工業株式会社(以下、住友化学という。)に雇用され、同社軽金属事業部名古屋製造所工作部電気課に配属され勤務していた。

2  ところが、昭和五一年七月三一日、被告住友アルミニウム製錬株式会社(以下住友アルミという。)が設立され、被告住友化学のアルミニウム事業(軽金属事業)部門のすべてが、右被告住友アルミに営業譲渡され、これに伴い原告は同被告へ出向の扱いとなった。但し、前記名古屋製造所がそのまま被告住友アルミの名古屋製造所になったものであって、勤務場所など勤務の実態は出向前と同一であった。

3  被告らは、いずれも昭和五三年七月三一日付で原告を解雇したと主張し、原告と被告らとの間の雇用契約の存在を争い、その就労を拒否している。

4  原告は、就労を拒否される以前、毎月二五日に一か月一四万三一一〇円の賃金の支払を受けていたが、昭和五三年八月一日以降その支払がなされていない。

よって、原告は、原告と被告らとの間において、原告が被告ら両名に対して雇用契約上の権利を有することの確認を求めるとともに、被告らに対し、賃金請求権に基づき、昭和五三年八月以降毎月二五日限り一か月一四万三一一〇円の未払賃金を連帯して支払うよう求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、営業譲渡の日及び原告の出向の日が昭和五一年七月三一日であることを否認し、その余の事実は認める。右営業譲渡及び出向の日は同年一一月一日である。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は認める。

三  抗弁(解雇)

1  被告らは、昭和五三年八月一日、原告に対し、被告ら共通の就業規則(以下、就業規則という。)五九条一項二号に基づき、同年七月三一日付で原告を普通解雇する旨の意思表示をそれぞれなし、その際、被告住友アルミは、解雇予告手当として一四万一五四〇円を提供したが、原告がその受領を拒否したため、翌二日にこれを名古屋法務局に供託した。

2  本件解雇に至る経過及び理由は左のとおりである。

(一) 原告は、昭和四四年一〇月二一日、いわゆる「佐藤訪米阻止、国際反戦デー」の闘争に参加し、東京都新宿区において兇器準備集合罪の被疑事実により逮捕され、引き続き勾留され、同年一一月一二日に東京地方裁判所に起訴され、さらにその後も引き続き勾留され、翌四五年八月二五日に保釈を許された。

(二) 右の逮捕勾留以降保釈に至るまでの間、原告は長期にわたり欠勤を続けたが、社員就業規則実施細則(以下、実施細則という。)二五条一項には、「刑事事件被疑者として拘引され、無罪であった場合は、その拘引期間中特別欠勤として取扱い、有罪その他特別の事情があるときは、有給休暇または事故欠勤として取り扱う。」と、同条二項には「前項の無罪、有罪の確定は第一審の判決による。」とそれぞれ規定されており、従って、第一審判決が示されるまで右の欠勤の取扱いを確定しえないため、被告住友化学は最終的な決定を留保した。

(三) そして、就業規則八六条には、「社員が犯罪行為等により起訴された場合は判決があるまで出勤を停止する。」と規定されているところ、被告住友化学は、原告の保釈後である昭和四五年八月二九日に原告に対し、同条に基づき出勤停止を命じた。

(四) 原告は、右の出勤停止を不服として、昭和四六年三月一五日、被告住友化学を相手どり、出勤停止の取消等を求めて名古屋地方裁判所に地位保全等の仮処分申請をなし、同年一〇月一三日、次の内容による和解が成立した。

(1) 同被告は、原告に対し、右一〇月一三日付で出勤停止を解除し、原告の前記刑事事件の第一審判決に至るまでの間休業を命ずる。

(2) 同被告は、原告に対し、休業期間中、基準内賃金、期末手当・賞与の全額を支払う。

(3) 原告は、休業期間中、同被告の許可なく事業場内に立入ってはならない。

(4) 原告は、当該出勤停止の効力について訴訟上争わない。

(五) その後、昭和五一年一一月一日に被告住友化学のアルミニウム事業部門のすべてが被告住友アルミに営業譲渡され、これに伴い、同日、原告を含むアルミニウム事業部門関係の全従業員が同被告へ出向の扱いになった。但し、被告住友アルミは、被告住友化学の事業の一部をそのまま独立させ別会社化したものであり、その労働協約については、住友化学労働組合(以下、住化労組という。)との間で、同組合と被告住友化学との間の労働協約と全く同内容とする旨合意し、その就業規則についても全く同内容のものであった。そこで、被告両社は、出向者の勤続年数、身分、労働条件などはすべて被告住友化学からそのまま継続し、人事考課、昇進昇格、表彰、懲戒、退職、解雇などの人事上の取扱いについては、被告住友アルミが独自の判断で行い、被告住友化学においては、これと全く同内容の取扱いを行ったものとみなす旨合意した。

右合意に基づき、昭和五一年一一月一日以降は、被告住友アルミが前記和解条項に従った取扱いを継続した。

(六)(1) 昭和五三年七月二四日東京地方裁判所は、原告の前記刑事事件につき「懲役一〇月、未決勾留日数二二〇日算入、執行猶予三年」という有罪判決を言渡した。

(2) そして、就業規則八九条には、「社員が次の各号の一に該当する場合は、降任ないしは剥奪、懲戒休職または懲戒解雇に処する。ただし、情状によりその他の懲戒にとどめることがある。」と、同条一〇号には、「犯罪行為によって有罪の確定判決を受けたとき。ただし、犯罪事実の明白なときおよび特別の事情があるときは、起訴されたとき」と、実施細則四一条一項には『規則八六条および八九条一〇号の「判決」とは第一審における判決をいう。』と、それぞれ規定されている。

(3) そこで、被告住友アルミは、原告の本件行為を右就業規則八九条一〇号の懲戒事由に該当し、懲戒解雇にするのが相当であると判断し、昭和五三年七月二八日労使で構成する懲戒委員会に対し、原告の処分に関し諮問した。そして、同委員会は審議の結果、同年七月三一日、被告住友アルミに対し、右就業規則八九条一〇号、実施細則四一条に基づく懲戒解雇を相当とするが、審議の過程で組合側委員より、本人の将来を考慮し、他の方法がないか更に検討し配慮して欲しいとの強い意見が出された旨の答申を行った。

(七)(1) また、一方右有罪判決の結果、取扱いを留保されていた勾留期間中の欠勤(三〇七日)については、届出のなかった八日間が無届欠勤となるのを除き、前記(二)記載の実施細則二五条によりそれ以降の二九九日が事故欠勤扱いとなることが確定した。

(2) そして、就業規則五九条一項には、「社員が次の各号の一に該当する場合は、三〇日前に予告して解雇する。ただし、三〇日分の平均賃金を支払う場合は即時に解雇する。」と、同項二号には、「看護欠勤六〇日(日給者および日給月給者は三〇日)または事故欠勤が三〇日におよびその情状が認めがたい者」と規定されている。

(3) 右のように被告住友アルミは、原告の事故欠勤が二九九日にも及び三〇日を大幅に上回るものであって、その情状が認めがたく、右就業規則五九条一項二号にも該当すると判断した。

そこで、同被告は、懲戒委員会における組合側委員の意見をも考慮し、原告の将来のためあえて懲戒解雇とせず、右勾留期間中の事故欠勤につき就業規則五九条一項二号を適用して原告を普通解雇することとし、本件解雇に及び、これに基づき被告住友化学も同じく本件解雇に及んだものである。なお、被告住友アルミは、原告に対し、前記の解雇予告手当の他に、退職金一〇七万七一〇〇円を支払う旨通知したところ、原告は当初その受領を拒否したが、昭和五三年九月二九日にこれを受領した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2  同2(一)の事実は認める。

3  同2(二)の事実のうち、原告が逮捕勾留以降保釈に至るまでの間出勤できなかったこと、実施細則二五条一、二項が被告ら主張のとおり規定されていることは認め、その余は知らない。

4  同2(三)の事実は認める。

5  同2(四)の事実のうち、和解の内容を除き、その余は認める。和解の内容には、被告主張の(1)ないし(4)のほか、(1)の後に「但し、それ以前において必要な場合には双方協議しかつ労働組合の意見をきいたうえ休業を解除する。」旨を、(3)の後に、「但し、被告住友化学は原告が組合事務所へ赴くため、ならびに所属職場会に参加するために事業場内に立入ることを希望する場合にはこれを認める。但し、その場合には通常の入門手続をとる。」旨を、その他に「被告住友化学は、原告に対し、昭和四五年八月二九日以降和解成立日までの賃金ならびに期末手当・賞与額の六〇パーセントに相当する金員を同四六年一〇月二五日までに支払う。」旨を附加したものである。

6  同2(五)の事実のうち、営業譲渡がなされたこと及び原告が被告住友アルミへ出向の扱いになったこと(但し、いずれもその時期を除く。)は認め、その余は知らない。

7  同2(六)(1)・(2)の事実はいずれも認める。

8  同2(六)(3)の事実は知らない。懲戒解雇を相当とすべき事由に該当するとの点は争う。

9  同2(七)(1)は争う。

10  同2(七)(2)の事実は認める。

11  同2(七)(3)の事実のうち、被告らが就業規則五九条一項二号により、本件解雇をなしたこと、被告住友アルミが退職金一〇七万七一〇〇円を支払う旨通知し、原告が当初その受領を拒否したが昭和五三年九月二九日に受領したことは認め、その余は知らない。但し、原告は右退職金を受領しても本件解雇を認める趣旨ではない旨異議を留めて受領したものである。

五  原告の反論及び再抗弁

1  就業規則五九条一項二号の「事故欠勤」について

本件における勾留期間中の原告の欠勤は、右条項にいう事故欠勤に該当せず、従って、本件解雇は就業規則上の根拠を失い無効というべきである。

(一) 被告らの就業規則は、以下のとおり、そもそも従業員が刑事事件で身柄を拘束され出勤できない場合に右条項にいう事故欠勤の扱いにすることを全く予定していないのであって、その解釈を誤ったものである。

(1) まず、就業規則八六条には前記のとおり規定され、また、被告らと住化労組との間の労働協約(以下、単に労働協約という。)六〇条三項には、「起訴された場合は判決があるまで原則として出勤を停止させる。」と定められているところ、右は身柄拘束中の者を除外していないのは明らかであり、また、右にいう出勤停止は、いわゆる起訴休職と同質のものというべきである。

そして、起訴休職制度の趣旨には、身柄拘束ないしは公判出廷による労働力適正配置の支障とそれがもたらす企業活動の計画と施行に対する障害を防止するために公判審理の期間中当該労働者を暫定的に排除すること及び企業の賃金支払義務を休職期間中一部又は全部免れさせ、他方、労働者の出勤義務を免れさせることが含まれている。このような観点からすれば、従業員が勾留のまま起訴されたときにこそ起訴休職としての出勤停止措置を採るべきであり、むしろ、釈放後はこれを解除すべきであって、このような措置を採ればそもそも事故欠勤の生ずる余地はなかったというべきである。

(2) また、実施細則二五条は前記のとおりであり、労働協約八二条の了解事項二項には「刑事事件被疑者として拘引され無罪であった場合は、その拘引期間中第一一号の取扱をしないで、勤怠に影響しない欠勤扱(特別欠勤)とすることがあるが、有罪その他特別の事情がある場合は、有給休暇または特別有給休暇もしくは事故欠勤扱いとする。」と定められている(但し、右のうち「一一号の取扱い」とは、証人、鑑定人等本人の責に帰さない事由で裁判所に出頭する等の場合を「出頭休暇」とするものである。)。

右各条項は、いずれも明文で「被疑者」としているように起訴前の被疑者段階での拘引に関するものである。すなわち、前記のように起訴後は釈放されていなければ出勤停止に付されることが予定されているということである。そして、もしも右のように解さず起訴後の拘引も適用されるとすれば、使用者がたまたま起訴後出勤停止に付したか、それをなさず放置したかにより事故欠勤の日数に差を生ずる、ひいては解雇事由の存否に影響を与える余地があり、これは逮捕勾留による不利益を出来る限り回避させようとする右条項の趣旨に反することになる。

(3) 就業規則三二条は、欠勤の種別として、病気欠勤、看護欠勤、事故欠勤、無届欠勤の四種類しか定めておらず、従って、使用者が出勤停止に付さなかった場合、身柄拘束のため出勤できなかった日数は、一応「やむを得ない事故によって就業しないとき」という事故欠勤の範疇に入ることはやむを得ないかもしれない。しかしながら、刑事事件で身柄を拘束されて出勤できない欠勤は、個別的な不履行としての通常の事故欠勤とは就業規則及び労働協約において明確に区別されている。

すなわち、労働協約一一四条には、事故欠勤について月給者は一日につき基準内賃金日額の七五パーセントの控除をする旨定められている。しかしながら、刑事事件で拘束中の欠勤については同一一七条の「刑事事件被疑者の特別欠勤」又は「確定判決があるまでの出勤停止」のいずれかに該当するものとし、月給者及び日給月給者は一日につき基準内賃金日額の一〇〇パーセントを控除されるものと定められ、明らかにその取扱を異にしている。

(4) そして、前記労働協約八二条の了解事項二項は、刑事事件被疑者として拘引された場合の欠勤に関するものであるが、同条自体は休暇についての条項であり、右了解条項はそのうち同条一一号の出頭休暇に関連して労使で了解されたものである。これによれば、刑事事件で身柄を拘束され出勤できない状態については、就業規則三二条(労働協約八三条)の通常の事故欠勤の範疇ではなく、出頭休暇に類似するものとしてとらえられているというべきである。

(5) なお、出頭休暇について、労働協約八二条一一号は、昭和五二年三月までは「民刑事事件等の証人、鑑定人、参考人又は陪審員として裁判所に出頭し、その他これに準ずるとき。ただし、本人の責めに帰するときを除く。」と定められていた。しかし、同年四月以降は「民刑事事件等の証人、鑑定人、参考人として裁判所に出頭し、その他これに準ずるとき。ただし、民事事件の原・被告、刑事事件の被告人その他の責に帰するときを除く。」と改定されている。

そして、訴外田中英教は民事訴訟の原告として裁判所に出頭した日につき出頭休暇の取扱いを受けたことがあり、これによれば、刑事事件の被告人の公判出廷日が出頭休暇扱いされることになり、拘引期間中についても、出頭休暇に類似する扱いを受けるべきである。

従って、昭和五二年四月の労働協約は、民事事件の原・被告、刑事事件の被告人の出頭を全面的に除外している点で不利益に変更されたというべきであり、このような場合、本件の欠勤の発生したのが労働協約の改定前であるから改定前の右労働協約が適用されるべきである。

(二) 仮に右(一)の主張が認められないとしても、刑事事件で拘引されて出勤できない場合、有罪判決がなされてもこれのみで右が当然に事故欠勤になると解すべきではない。

すなわち、前記労働協約八二条の了解事項二項は、刑事事件で拘引されて出勤できない場合、原則としてすべて同条一一号の出頭休暇の取扱いをするが、例外的に、無罪であったときには勤怠に影響しない欠勤(特別欠勤)とすることもあり、有罪その他特別の事情があるときには有給休暇または特別有給休暇もしくは事故欠勤とすることもある、という趣旨であるというべきである。

また、昭和四六年九月三〇日に改定された同条の了解事項二項には、「刑事事件被疑者として拘引された場合は、事故欠勤または有給休暇もしくは特別有給休暇として取扱う。ただし、無罪確定等特別の事情がある場合は遡って勤怠に影響しない欠勤(特別欠勤)として扱うことがある。」と定められ、有罪判決の場合でも特別事情があるときは事故欠勤扱いをしないことは明らかである。

そして、有罪判決がなされた時点で事故欠勤にするかどうかについては、右時点を基準にして、それまでの雇用関係の実情等一切の事情を考慮して判断すべきところ本件においては、原告の長期にわたる欠勤は勾留の運用に問題があったこと、原告が勾留されたまま起訴された段階で被告住友化学が出勤停止の措置をとらなかったこと、前記和解以降本件解雇に至るまで約七年間もの長期間、原告と被告らの関係は平穏に推移したこと、刑事事件の判決は執行猶予付のものであり、原告の行為が私利私欲によるものでない点や原告の家族の状況等を考慮し、原告が安定した社会生活をおくることを期待したものと思われること、原告は今後安定した労務の提供をすることが期待できる状況にあったことなどの諸事情が存する。従って、被告らは以上の諸事情を考慮し、本件における原告の欠勤を事故欠勤の扱いとすべきではなかったというべきである。

2  就業規則八九条一〇号の懲戒解雇事由について

(一) 前記のとおり、原告が兇器準備集合罪により有罪判決を受けたことは、形式的には右条項に該当するとしても以下のとおり、右事実のみによっては懲戒解雇を相当とすべき事由には該らないというべきである。

そもそも企業外の労働者の行動は、当該労働者の私的自由の範囲内のものであり、その行動により逮捕勾留され、有罪判決を受けたとしても、原則として懲戒の対象とはならないというべきである。ただ、企業外の行動により逮捕勾留され、有罪判決を受けたことが企業の信用を毀損したり、企業秩序を害する具体的な危険を生じさせた場合に例外的に懲戒の対象となるというにすぎないものである。

本件においては、右事件が非破廉恥罪であって、有罪判決ではあるが、その情状を考慮され執行猶予付のものであったこと、被告住友化学は大企業であり、一方原告は末端の一工員にすぎないこと、また、原告の右事件についてはマスコミ等による報道が全くなされなかったこと、従業員間にも特に混乱、動揺を生ずることもなかったことなどの諸事情が存し、右の具体的危険を生じさせてはいないのであるから、そもそも懲戒の対象とはならず、懲戒解雇を相当とする事由も存していなかったというべきである。

(二) また、仮に懲戒の対象となるとしても、右のような諸事情からすると、懲戒処分のうち、より軽い処分を選択すべきであって、懲戒解雇を相当とする事由が存したということはできない。

3  不当労働行為

被告らの原告に対する本件解雇は、以下のとおり労働組合法七条一号所定の不当労働行為であり無効である。

(一) 住化労組は、日本労働組合総評議会(以下、総評という。)、合成化学産業労働組合連合会(以下、合化労連という。)に所属する組合であり、原告は、昭和三六年八月に同組合名古屋支部(以下、名古屋支部あるいは支部という。)が結成されてから本件解雇に至るまで同組合に所属する組合員であった。

(二) 労使関係の推移

(1) 合化労連は、労働組合が労働者階級の階級的視点を堅持することを団結の要とし、安保条約、日韓条約に反対する行動等を組合員に提起し、組合員も広汎にこれに参加していた。

(2) 住化労組は、昭和三〇年後半から同四〇年代初頭にかけては、階級的視点を堅持する考え方をもつ者が主導権を握り、昭和四〇年の春闘では二二日間に及ぶストライキを行い、合化労連の牽引車的役割を果していた。

(3) 被告住友化学は、右のストライキを契機として昭和四〇年、従来の労政部を勤労部へと組織改正をするとともに、従来の労務管理を再検討し、以降、住化労組に対する徹底した組織破壊行為を行い、労使協調派による住化労組の一元支配を育成助長した。

たとえば、同被告の「各課に於て実施して頂く労務管理政策の概要」とする書面によれば、「部下監督者全員を会社指向的に指導せよ。」、「思想行動面の不良者を説得しえない場合には配転せよ。」、「良識者を評議員に選出させるよう配慮せよ。」等の労務管理施策をとっていた。

(4) 同被告の右のような不当労働行為によって住化労組は急速に同被告の意向に応じた労使協調派が支配するようになり、昭和四三年には中央執行部一〇名中八名が労使協調派の者に入れ替り、支部においても同四一年以降、労使協調派が逐次優勢となり、同四五年には同派が全役員を占めた。

(5) また、昭和四〇年五月ころ、支部青年婦人部(以下青婦部という。)は愛知県反戦青年委員会に加盟したが、その後右労使協調派が主導権を握るようになってからは、同委員会の活動に参加することを禁止され、住化労組の従前の綱領は、合化労連の綱領と同じく階級的視点を団結の要とすべき旨宣明していたが、これが改変され、合化労連からの脱退問題が提起されるようにもなった。

(三) 原告の組合活動

(1) 原告は、一貫して労働者の団結の要は階級的視点の堅持にあると考え、前記の会社の支配介入行為と労使協調派に対抗して組合活動を行ってきた。

(2) 被告住友化学は、昭和四〇年六月ころ、支部の青婦部長で後に支部評議員長にもなった訴外林滋(以下、林という。)に対し、京都大学への派遣命令を出した。

右の派遣命令は、組合の弱体化を狙った不当労働行為であり、この林京大派遣問題をめぐり、支部では、〈イ〉ストを含めた実力闘争で反対する、〈ロ〉派遣そのものには反対であるが、一応派遣に応じ、地労委に提訴して取消を求める、〈ハ〉そもそも反対しない、という三つの考え方に別れたが、原告は、右〈イ〉の考え方を採らなければ、組合の変質と合化労連からの脱退に行きつくものと認識し、同じ考え方の青婦部の若い労働者の中心メンバーの一人として青婦部の青年行動隊の組織化、職場オルグ、文書の作成・配布、不当労働行為の摘発等を行い、林京大派遣闘争を持続させた。

(3) その後、原告は、昭和四二年八月、支部電気職場の職場委員、支部青婦部教宣部員となり、同四三年八月から同四四年七月の間も同教宣部員の地位にあった。

また、一方、原告は、昭和四〇年九月に支部青婦部が組織加盟している愛知県化学産業労働組合協議会(以下、愛化協という。)の青婦部の事務局長となり、その中の愛知県反戦青年委員会の諸活動を行い、同委員会の指導者的な立場にあり、同四五年には、全化学反戦青年委員会の議長になった。

(4) 労使協調派による住化労組の一元的支配がなされてからは、同組合は総評及び合化労連の提起する大衆行動に組合員が参加することを嫌い、組合の労使協調路線化を一層貫徹しようとした。

原告が昭和四四年一〇月二一日本件の「佐藤訪米阻止、国際反戦デー」の行動に参加したのは、労使協調派による住化労組の一元的支配を打破り、階級的視点を団結の要とするものへの蘇生を目ざしたものである。

(四) 原告に対する嫌悪の意思

(1) 原告は、前記のように被告住友化学が勤労部を発足させ、労使協調派を育成し、組合の同派による一元的支配を図った以降に、そのような労務政策に反対する若干の組合員のうちの有力かつ有能な活動家であり、同被告側も原告を「影の青婦部長」と名指ししていたものであり、同被告の労務政策からすると、原告を職場から排除したいと考えるに足る十分な理由があったというべきである。

(2) 同被告は、昭和四〇年ころ、原告を思想的不良分子として会社内文書に明記し、同じころ、「いやな奴対策」という対策をしていたが、原告もその対象となったことがあった。

(3) 同被告は、昭和四二・四三年の新入社員教育の際に新入社員に対し、「電気の甲野、山本、一製の田中とは話をしないように」と述べ、原告らとの隔離を図ったことがあった。右の訴外山本君吉(以下、山本という。)及び訴外田中英教(以下、田中という。)は、原告と同じ考え方のもとにいずれも林京大派遣反対闘争に積極的に関わってきた者である。

(4) 原告と同じく階級的視点を堅持しようとする考え方を持つ者が職場から次々と排除ないし隔離されている。

すなわち、林は京大派遣反対闘争時に解雇された。山本は電気課工事班に所属していたが、昭和四四年一二月、何らの理由もなく技術班に課内配転され、他の組合員から隔離され孤立化させられた。また田中は第一製造課の操炉作業に従事していたが、同四五年一月ころ雑作業に転換され、同じく他の組合員から隔離されている。

(5) 前記のとおり、原告が保釈され出勤できる状態となった時点で、同被告が原告を出勤停止としたのは、原告を職場に入れることを極度に嫌っていたことの現われである。

(6) さらに、同被告は、原告の起訴後も故意に出勤停止の措置を遅らせたことにより事故欠勤という解雇事由を作出したのであり、これは原告を職場から排除し、従業員としての地位を奪うことを企図して意図的になされたものである。そして、懲戒処分であれば、弁解の機会も与えられるのに、本件のように事故欠勤に基づく普通解雇としたため、懲戒処分以上に原告に不利益な結果となったものである。

(7) また、本件解雇が、就業規則八九条一〇号の懲戒事由があって懲戒解雇を相当とするところ、本人の将来を考え普通解雇にしたというのであれば、懲戒事由を維持しつつ普通解雇に関する就業規則五九条一項九号の「その他前各号に準ずるやむを得ない事由のある者」を適用するのが通常である。しかるに前記の本件解雇の経過によれば、懲戒事由に該当する事実とは別の勾留中の欠勤の事実に、突如切替えられている。これは懲戒解雇を普通解雇に一段階下げることにより予想される裁判での懲戒事由の存否の判断を回避し、かつ、原告を排除する目的で解雇事由が巧妙に作りあげられたことを意味するものである。

(8) 労働協約一三六条には、「会社は、懲戒解雇、五〇条二号ないし四号、六号及び七号の事由により解雇された組合員に対しては、退職手当を支払わない。ただし情状酌量すべき事情がある場合は、基準額を減額して支払うことがある。」と定められ、懲戒解雇の場合のみならず、労働協約五〇条一項二号、すなわち、これに対応する就業規則五九条一項二号の「事故欠勤が三〇日に及びその情状が認めがたい者」による普通解雇の場合にも原則として退職手当を支払わないことになっている。

しかるに、本件では右就業規則五九条一項二号に該当する、つまりその情状が認めがたいとして本件解雇に及びながら、右労働協約一三六条の但書の「情状酌量すべき場合」として退職手当を支払ったものであり、全く矛盾する取扱いである。しかも、右労働協約一三六条の但書による場合でも前記のように基準額を減額して支払うことになるはずであるのに、本件では基準額どおり支払われたのであり、全く不可思議な取扱いであって、これは同被告が原告の組合活動を嫌悪し企業から排除する意思を有していたことを示すものである。

(五) 以上のように、本件解雇は、原告が労働組合の正当な行為をしたことの故をもってなされた不利益な取扱いであり、不当労働行為というべきであって無効である。

六  原告の反論及び再抗弁に対する認否

1  原告の反論及び再抗弁1の冒頭の主張は争う。

(一) 同1の(一)の(1)ないし(5)及び(二)の事実のうち、労働協約及び就業規則の条項の内容は認め、その余の主張はすべて争う。

(二) 就業規則八六条、労働協約六〇条三項の出勤停止は、犯罪行為の疑いによって起訴された者について、他の従業員の関係等職場秩序維持のうえから必要と認められる場合はその出勤を差し止める趣旨の制度である。従って右趣旨からすると、これは出勤可能な者に対して必要な場合に命ずることを予定しているのであって、身柄拘束中のため出勤不可能な者に対して命ずることは全く無意味であり、本制度を制定した労使の意思に全く反することになる。

また、そうでないとしても、身柄を拘束されたまま起訴された場合に、当然に出勤停止の措置を採らなければならないとはいえない。本件では、起訴時に出勤停止の措置を採っていたとしても、第一審判決で有罪とされたことにより懲戒解雇となるのであって、原告の出勤可能な時点を待って出勤停止としたがために原告に対しては三〇日以上の事故欠勤による普通解雇という途が開かれたのである。従って、原告のためには有利でこそあれ不利にはならないのであって、被告住友化学の右措置に不当な点はないというべきである。

(三) 労働協約八二条の了解事項二項、及び実施細則二五条にいう「被疑者」とは、私企業における労働協約上の字句であり、刑事訴訟法上の概念とは別のものである。すなわち、右の「被疑者」とは、法律学上の厳密な用語として用いられている訳ではなく、要するに刑事事件に関連して身柄を拘束されている事態一般を指す日常的な用語として用いられているものである。もしも、これを法律上の概念のとおり厳密に解するとすれば、これを締結した労使の意思に反する結果になるというべきである。

(四) 労働協約八二条一一号の出頭休暇は、証人、鑑定人等に適用されるものであって、刑事事件の被告人はこれに含まれない。従って、拘引による欠勤が出頭休暇に類似するものと解することができないのは明らかである。

(五) 改正後の労働協約八二条の了解事項二項の「ただし無罪確定等特別の事情がある場合は、」における「特別の事情」とは無罪と同視しうる事情たとえば免訴、公訴棄却の判決等を受けた場合を想定しているのであって、無罪と全く相反する有罪の場合に特別の事情が考慮されるということはない。

2  同2の事実及び主張は争う。

3  同3(不当労働行為)の冒頭の主張は争う。

(一) 同3の(一)ないし(三)の事実のうち、昭和三六年八月に住化労組の名古屋支部が結成されたこと、同四〇年に二二日間のストライキが行われたこと、同年労政部から勤労部へ組織改正が行われたこと、被告住友化学が林に対して京都大学への派遣を命じたこと、原告が同四四年一〇月二一日の国際反戦デーの大衆行動に参加したことは認める。被告住友化学が住化労組に対して組織破壊、不当労働行為を行ったとの点は否認する。その余はすべて知らない。

(二) 同3(四)(1)ないし(8)の事実はいずれも否認ないし争う。

同3(四)の(7)に対しては、就業規則五九条一項九号を適用するのが通常かどうかは別として就業規則上の解雇事由が重複する場合、そのいずれによるかは本来使用者の裁量の範囲内の問題であり、まして、本件では本人にとって有利な条項を適用したものであって何ら非難を受ける余地はない。

また、被告住友アルミが退職手当を基準額どおり支払ったのは、組合の意見を汲み原告のために有利に取扱ったためである。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因について

1  請求原因1、3、4の各事実並びに同2の事実のうち、昭和五一年七月三一日に被告住友アルミが設立され、被告住友化学のアルミニウム事業(軽金属事業)部門のすべてが同住友アルミに営業譲渡され、これに伴い原告が同被告に出向の扱いになったが、その実態は原告の勤務場所であった被告住友化学の軽金属事業部名古屋製造所がそのまま同住友アルミの名古屋製造所となったことによるもので、勤務場所が出向前と同一であったことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  (証拠略)によれば、右営業譲渡がなされ、これに伴い、原告が被告住友アルミに出向の扱いとなった日は昭和五一年一一月一日であること、そして、これは被告住友化学の事業部門の一部(軽金属事業部門)をそっくりそのまま独立させて別会社化したものでその本店所在地は同一場所であり、出向といっても名目だけで従業員の労働の実態には何ら変化がなかったこと、被告らの就業規則は全く同一内容であること、被告らと住化労組との間で、被告住友アルミとの間の労働協約についても、同組合と被告住友化学との間の労働協約と全く同一内容とする旨協定されたこと、被告らの間で、出向者の勤続年数、身分、労働条件、勤務成績などはすべて被告住友化学から同住友アルミにそのまま継続し、以後、人事考課、昇進、昇格、表彰、懲戒、退職、解雇などの人事上の取扱いについては、被告住友アルミが独自の判断で行い、同住友化学においては、出向元としての立場から右判断に従い、これと全く同じ内容の取扱いを行ったものとして形式的手続を行う旨合意されたこと、同住友アルミの人事担当者も、前記営業譲渡に伴う出向者については同被告との間の雇用契約関係のみならず、同住友化学との雇用契約関係がなお存続していると把握していたこと、以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

3  以上によれば、原告の右出向は、出向元との雇用関係も存続するいわゆる在籍出向というべきであり、原告と被告ら両名の間にいずれも雇用契約関係が存在していたと解するが相当である。

二  本件解雇の経過

1  抗弁1の事実、同2(一)、(三)、(六)の(1)・(2)、(七)の(2)の各事実は当事者間に争いがなく、また同2(二)の事実のうち、原告が逮捕勾留後保釈に至るまで出勤できなかったこと、実施細則二五条一、二項には、被告ら主張のとおり規定されていること、同2(四)の事実のうち、原告が出勤停止の措置を不服として昭和四六年三月一五日に出勤停止の取消等を求めて名古屋地方裁判所に仮処分申請をなし、同年一〇月一三日、和解が成立したこと、同2(五)の事実のうち、営業譲渡がなされたこと及び原告が被告住友アルミに出向の扱いとなったこと(但し、その時期を除く。)、同2(七)の(3)の事実のうち、被告らが原告に対し、就業規則五九条一項二号に基づき本件解雇をなしたこと、被告住友アルミが退職金一〇七万七一〇〇円を支払う旨通知したところ、原告は、当初その受領を拒否したが、その後昭和五三年九月二九日にこれを受領したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和四四年一〇月二一日、佐藤首相の訪米とベトナム戦争に反対して行われた「佐藤訪米阻止、国際反戦デー」の闘争に参加し、東京都新宿区内において、兇器準備集合罪の被疑事実により逮捕されて引き続き勾留され、同年一一月一二日に東京地方裁判所に起訴された後も、さらに引き続き勾留され、翌四五年八月二五日に保釈された。

原告は、同四四年一〇月二一日及び二二日の二日間については年次有給休暇をとったうえで、右闘争に参加していた。そして、同月二二日には、原告の母が被告住友化学に対し、電話で、原告が当分休む旨の連絡をし、さらに、同月三〇日の午後四時以降に山本が原告に代って、原告自らが集団接見時に作成した欠勤届を同被告に提出した。そして、原告は右保釈に至るまでの間に数回にわたり保釈の請求をしたが、いずれも却下された。

(二)  右のとおり、原告は、逮捕勾留後保釈に至るまでの間のうち、年次有給休暇の二日間を除き、三〇七日間にわたり欠勤を続けたが、実施細則二五条一項には、「刑事事件被疑者として拘引され無罪であった場合は、その拘引期間中特別欠勤として取扱い、有罪その他特別の事情があるときは有給休暇または事故欠勤として取り扱う。」と、同条二項には、「前項の有罪、無罪の確定は第一審の判決による。」と規定されており、第一審判決が示されるまで右の欠勤の取扱いを確定しえないため、被告住友化学は最終的な決定を留保することとした。

(三)  そして、同被告は、原告が保釈された後の同四五年八月二九日に、原告に対し、就業規則八六条に基づき、第一審判決に至るまでの出勤停止を命じた。これに対し、原告は同四六年三月一五日、同被告を相手として右出勤停止取消、就労及び事業所への立入り妨害禁止を求めて名古屋地方裁判所に仮処分の申請をなしたが、同年一〇月一三日次の内容による和解が成立した。

(1) 同被告は、同年一〇月一三日付で原告に対する出勤停止を解除し、原告に係る刑事事件の第一審判決に至るまでの間休業を命ずる。但し、それ以前において必要な場合には双方協議したうえ休業を解除することがある。

(2) 同被告は、原告に対し、休業期間中、基準内賃金、期末手当、賞与の全額を支払う。

(3) 原告は、休業期間中、同被告の許可なく事業場に立入ってはならない。但し、被告は、原告が組合事務所へ赴くため、ならびに所属職場会に参加するために事業場内に立入ることを希望する場合にはこれを認める。但し、その場合は通常の入門手続をとる。

(4) 同被告は、昭和四五年八月二九日以降同四六年一〇月一三日までの間の賃金、期末手当、賞与の額の六〇パーセントに相当する金額を同年一〇月二五日までに支払う。

(5) 原告は、右の期間の出勤停止の効力について訴訟上争わない。

なお、原告が右和解に応じたのは就労請求権が裁判所で認められにくいと考えたこと及び、原告にとっては、とりあえず組合事務所へ立入る権利を確保することが重要であると考えたことによるものであった。

(四)  その後、前記認定のとおり昭和五一年一一月一日に被告住友化学のアルミニウム事業部門のすべてが同住友アルミに営業譲渡され、これに伴い、名古屋製造所の他の従業員と同様原告も同住友アルミに出向の扱いとなり、これにより、右同日以降は、同住友アルミが右和解条項に従った取扱いを継続した。

(五)  そして、同五三年七月二四日、東京地方裁判所は、原告の前記刑事事件について「懲役一〇月、未決勾留日数二二〇日算入、執行猶予三年」という執行猶予付の有罪判決を言い渡した。

原告は、同月二七日に出勤し、訴外宗田庶務課長と面会したところ、同人から右判決の日時及び内容の確認がなされ、また「何か言いたいことはないか。」と尋ねられた。そして、同人からすでに懲戒委員会に発議されることになっており、翌二八日に審議が行われる旨聞いた。そして、その際、支部の役員である石田委員長、有海書記長とも面会し、判決の日時や内容等の確認がなされた。

被告住友アルミは、右有罪判決により懲戒解雇事由である就業規則八九条一〇号の「犯罪によって有罪の確定判決を受けたとき。」(但し、実施細則四一条一項『規則八六条および八九条一〇号の「判決」とは第一審における判決をいう。』)に該当するものと判断し、同月二八日、労使で構成する懲戒委員会に原告の処分を諮問した。同委員会は、同月二八日、三一日に審議を重ねた結果、同月三一日同条項にもとづく懲戒解雇が相当であるが、審議の過程で、組合側委員から、本人の将来を考慮し、他の方法がないか更に検討して欲しいとの強い意見が出された旨の答申を行った。

(六)  そして、被告住友アルミは、右の懲戒委員会での組合側委員の意見も考慮して更に検討し、就業規則五九条一項二号には、「事故欠勤が三〇日に及びその情状が認めがたい者」を普通解雇事由として規定しており、一方、前記刑事事件の第一審の有罪判決がなされたことにより、前記のとおりその取扱いを留保されていた原告の身柄拘束中の欠勤のうち、同四四年一〇月二三日から同月三〇日までの八日間は届出がなかったものとして無届欠勤になると判断し、その余の二九九日が実施細則二五条により事故欠勤となることに確定し、かつ、それは右三〇日を大幅に超えるものであるから「その情状が認めがたい者」にも該当するものと判断した。

そこで、同被告は、同年七月三一日付で原告を右就業規則五九条一項二号により普通解雇することとし、翌八月一日、原告に対し、その旨の解雇通知書が交付された。また、被告住友化学も、前記認定のとおり同住友アルミの判断に従った取扱いをするということから、同内容の解雇を通知した。そして、その際、同住友アルミは、解雇予告手当として一四万一五四〇円を提供したが、原告がその受領を拒否したため、翌八月二日にこれを名古屋法務局に供託した。また、同被告は、原告に対し、退職金一〇七万七一〇〇円を支払う旨通知したところ、原告は、当初その受領を拒否したが、同年九月二九日、解雇を承認した趣旨ではない旨の異議を留めてこれを受領した。

なお、原告が同年八月一日に解雇の通知を受けた際、右宗田課長から右の懲戒委員会の意見及び原告の将来を考慮して普通解雇とした旨の説明を受けた。そして、原告が懲戒委員会の議事録及び人事権者に対する上申書の閲覧を求めたが、秘密事項ということで拒否された。そして、右同日及び同月八日に解雇事由について質問したところ、就業規則五九条一項二号のみで、同八号の「第八九条に該当する場合で、本条による解雇が適当と認められる者」あるいは、同九号の「その他前各号に準ずるやむを得ない事由のある者」は掲げられていないとのことであった。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  本件解雇の就業規則該当の有無について

1  そこで、右認定の本件解雇の経過に基づき、原告が身柄を拘束されたため出勤できなかった期間のうち、本件解雇の事由とされている昭和四四年一〇月三一日から同四五年八月二五日までの二九九日間が就業規則五九条一項二号にいう「事故欠勤」に該当するか否かについて以下のとおり判断する。(なお、同年一〇月二三日から同月三〇日までの八日間につき、無届欠勤に該当するか否かについて争いがあるが、右のとおりこの期間は本件解雇自体の解雇事由とはされていないから、この点については判断しない。)

(一)  昭和四四年四月一日の時点の労働協約八二条了解事項二項(以下、了解事項旧規定という。)には、「刑事事件被疑者として拘引され無罪であった場合、その拘引期間中第一一号の取扱いをしないで、勤怠に影響しない欠勤扱(特別欠勤)とすることがあるが、有罪その他特別の事情がある場合は、有給休暇または特別有給休暇もしくは事故欠勤扱いとする。」と規定され、右時点での実施細則二五条(以下、同条旧規定という。)は前記のとおり規定されていることは、当事者間に争いがない。

右の各条項の表現、内容には若干の違いがあり、かような場合には労働協約の条項が優先すると考えられるところ、右了解事項旧規定によれば、有罪であった場合は「有給休暇または特別有給休暇もしくは事故欠勤扱い」になることは明らかである。

なお、右規定は、無罪であった場合については、第一一号(出頭休暇)の取扱いをすることもあり、特別欠勤とすることもある、との趣旨に解する余地もあって、その趣旨が必らずしも明確ではないが、少なくとも後段の「有罪その他特別事情がある場合」には「……扱いとする。」とあって、前段のように「……することがある。」との表現を用いておらず、「第一一号の取扱いをしないで」の文言は後段にはかからないと解するのが相当である。

そこで、右の有給休暇、特別有給休暇、事故欠勤のいずれに該当するか判断するに、右規定は逮捕勾留による不利益をできる限り回避させようとする趣旨であると考えられるから、有罪の場合もいずれの扱いにしてもよいというのではなく、まず有給休暇または特別有給休暇に充て、その残りを事故欠勤扱いとする趣旨であると解するのが相当である。

そして、原告に、右有給休暇または特別有給休暇が何日分残っていたのかは必ずしも明らかではないが、(証拠略)によれば、労働協約八〇条、八一条には、原告のように勤続五年以上の者には一年につき二〇日の有給休暇を受けることができ、その他に毎年一日の特別有給休暇を付与され、右の算定が一月一日を始期とし一二月三一日を終期とするが、毎年一二月三一日に、その年度の有給休暇及び特別有給休暇に残余の日数がある場合には翌年度に繰り越すことができる旨定められていることが認められる。従って、前記認定のように、原告は昭和四四年一〇月一二日、二二日の両日は有給休暇を受けているから、同四四年の有給休暇、特別有給休暇の日数は、その前年度分の全日数の繰り越しがあったとしても、残りは最大四〇日であり、同四五年も二一日ということになるはずである。

そうすると、前記二九九日のうち、右六一日間は有給休暇、特別有給休暇になるものとしてこれを差し引いても、なお二三八日間は事故欠勤になるといわざるを得ない。従って、少なくとも二三八日間以上の事故欠勤が生したと解するのが相当である。

(二)  なお、原告は、就業規則八六条、労働協約六〇条三項の出勤停止の措置は、起訴休職と同質のものであり、起訴休職制度の趣旨からすると、身柄を拘束されたまま起訴された段階で右出勤停止とすべきであって、そのようにしていれば三〇日を超える事故欠勤は生ずる余地がなく、また、前記了解事項旧規定及び実施細則二五条旧規定の「刑事事件被疑者として拘引され」とは、文字どおり起訴前の被疑者段階での勾留のため出勤できない場合のみを指し、起訴後の被告人段階で勾留により出勤できない場合には、右の出勤停止が予定されており、右規定の適用外である旨主張する。

そこで、右につき判断するに、まず、就業規則八六条には、「社員が犯罪行為等により起訴された場合は、判決あるまで出勤を停止する。」と、労働協約六〇条三項には「起訴された場合は、判決があるまで原則として出勤を停止させる。」と定められていることは当事者間に争いがないところ、確かに、起訴と同時に出勤停止の措置をとっていれば、起訴前の部分は別として起訴後の勾留により出勤できなかったのは、事故欠勤には該らないことになり、従って、また、三〇日を超える事故欠勤も生じないことになる。

しかしながら、右労働協約六〇条三項には「原則として」との文言があって、勾留されたまま起訴された場合に必らず出勤停止の措置をとらねばならないとするものではなく、原則と例外についても本件のような事案の場合において従前は起訴時に出勤停止の措置をとる取扱いがなされていたとの事実を認めるに足る証拠もない。

また、了解事項及び実施細則二五条の旧規定における「被疑者」との文言は、私企業の労働協約または就業規則に用いられたものであって、労使双方は、法律上の被疑者と被告人との差異を厳格に意識したものとは思われず、刑事事件に関連して身柄を拘束された場合一般を指す日常的用語として用いられたものと解するのが相当である。けだし、勾留されたまま起訴された場合には、起訴後は当然に出勤停止の措置が予定されているということができないのは前記のとおりであり、また、もしもこれを起訴前のものに限るとすれば、勾留されたまま起訴され、無罪であった場合に、起訴後の部分は、勤怠に影響しない欠勤扱(特別欠勤)とする余地がなくなり、かえって同条項の趣旨に反することになるというべきだからである。

(三)  さらに、労働協約一一四条には、事故欠勤の場合の賃金につき、月給者は一日について基準内賃金日額の七五パーセントを控除する旨、同一一七条には、「刑事事件被疑者の特別欠勤」及び「確定判決あるまでの出勤停止」の場合につき、いずれも、月給者は一日について基準内賃金日額の一〇〇パーセントを控除する旨、同一二一条には「刑事事件被疑者として特別欠勤した場合」、「確定判決があるまで出勤停止を命ぜられた場合」で「無罪が確定した場合等必要なときは、会社、組合審議の上、一日について基準内賃金日額の六〇パーセントないし一〇〇パーセントを補償する。」旨規定されていることは、いずれも当事者間に争いがない。

原告は、右の点から、通常の個別的不履行における事故欠勤と、刑事事件で身柄を拘束され、一般的、継続的に労務の提供をできない場合とは、労働協約上明らかにその取扱いを異にしており、起訴後出勤停止の措置がとられなかったために生じた出勤不能の状態が仮に事故欠勤に該るとしても、就業規則五九条一項二号にいう「事故欠勤」には該らない旨主張する。

そこで、右につき判断するに、右労働協約一一七条及び一二一条を統一的に解釈する限り、右各条にいう「特別欠勤」との語は、前記了解事項旧規定にいう「勤怠に影響しない欠勤扱(特別欠勤)」とは、異なる意味、すなわち、結果として有罪、無罪のいずれとなったかに関係なく、刑事事件の被疑者、被告人として身柄を拘束されたり、法廷への出頭をして出勤できなかった場合を指すものと解するのが相当である。そうすると、確かに通常の事故欠勤の場合と賃金面では取扱いを異にするかのようにも思われる(すなわち、月給者の場合通常の事故欠勤であれば七五パーセントの控除であるのに対し、本件のように有罪となったときには、原則として一〇〇パーセント控除となる。)。

しかしながら、これらを総合すると、前記了解事項は「……事故欠勤扱いとする。」との表現であり、同条項は、主に勤怠の問題を規定し、そのような観点から事故欠勤の扱いとするとしたもので、賃金面では、右労働協約一一四条と別に規定したと解する余地もあり、また、(証拠略)によれば、労働協約一二二条には、「会社は、組合員が第一一四条、第一一七条および看護欠勤(月給者については七五パーセント控除に該当する期間の欠勤)に該当する休暇、欠勤等で一賃金計算期間中全く労働しなかった場合、その月の労働すべき日数のいかんにかかわらず、賃金全額を支払わない。」と定められていることが認められ、これによれば、本件のような場合も事実上同一一七条と同じような結果にもなる。

そして、就業規則五九条一項二号(労働協約五〇条一項二号)の「事故欠勤」が、前記了解事項旧規定にいう事故欠勤とは異なるものであるというのであれば、右条項に「但し、労働協約八二条了解事項二項の場合を除く。」といった限定ないし留保の条項が定められるのが通常であるところ、同条項にはかかる限定ないし留保はなく、その面でも原告の右主張は理由がない。

(四)  また、原告は、了解事項旧規定は、同条が休暇についての条項であり、そのうち同条一一号の出頭休暇に関連して定められたものであるから、刑事事件で身柄を拘束され出勤できない状態は、通常の事故欠勤の範疇でなく、出頭休暇に類似するものととらえられているものとし、さらに同条一一号については、昭和五二年四月以降の規定(以下、一一号新規定という。)は、それ以前の規定(以下、一一号旧規定という。)を不利益に変更したものであるから、新規定が適用にはならず、旧規定が適用されるべきであると主張する。

そして、一一号旧規定が出頭休暇として「民刑事事件等の証人、鑑定人、参考人、又は陪審員として裁判所に出頭し、その他これに準ずるとき。ただし、本人の責めに帰するときを除く。」と、一一号新規定が「民刑事事件等の証人、鑑定人、参考人として裁判所に出頭したとき。ただし民事事件の原被告、刑事事件の被告人その他本人の責に帰するときを除く。」と規定されていることは、当事者間に争いがない。

そこで判断するに、了解事項旧規定は、前記(一)のとおり解釈されるべきであって、同条項が同条一一号の出頭休暇に関連して規定されたからといって、刑事事件で身柄拘束され出勤できない場合がすべて出頭休暇に準じた取扱いとなるものと解すべきでないことは明らかである。

また、一一号旧規定の但書の「本人の責に帰するとき」を具体的に列(ママ)示したのが一一号新規定というべきであり、不利益に変更されたものということはできないと解するのが相当である(さらに、仮に旧規定の場合に刑事事件の被告人が公判のため裁判所へ出頭する場合に出頭休暇の扱いをすることも可能であると解することができるとしても、このことから、直ちに、刑事事件で勾留され出勤できない場合も出頭休暇に準ずるものになるということができないのはいうまでもない。)。

従って、原告の右主張も失当である。

(五)  さらに、原告は、了解事項旧規定は、有罪判決がなされたのみでは当然には、事故欠勤の扱いにすることを定めておらず、その場合にも出頭休暇に準ずる取扱いをすることもあり、同了解事項の改定後の規定によれば、特別事情があるときは、事故欠勤にならない旨定めているところ、本件では、右特別事情が存するから、事故欠勤の扱いにならない旨主張する。

そこで判断するに、了解事項旧規定で、有罪の場合にも出頭休暇に準ずる扱いになることもあるとする点は理由がないのは、右(一)、(四)のとおりである。そして、昭和四六年九月三〇日に改定された労働協約八二条了解事項二項(以下、了解事項新規定という。)には、「刑事事件被疑者として拘引された場合は、事故欠勤または有給休暇もしくは特別有給休暇として取扱う。ただし、無罪確定等特別の事情がある場合は、遡って勤怠に影響しない欠勤(特別欠勤)として取扱うことがある。」と定めていることは当事者間に争いがない。思うに右条項にいう「特別の事情がある場合」とは、無罪が確定した場合のようにその拘引されたための欠勤のように本人の責に帰すべき事由によらない出勤不能のような場合を指すものと解するのが相当であって、かかる場合とは、無罪判決と同視しうる場合、たとえば免訴、公訴棄却の判決を受けた場合を想定しているというべきであって、本件のように、執行猶予付とはいえ、懲役一〇月の有罪判決を受けた場合を無罪判決と同視しうるものとはいえないと解するのが相当である。また、原告に対する勾留の運用に問題(違法、不当)があったものと認めるに足りる証拠はない。

2  次に、本件の事故欠勤が、「三〇日に及びその情状が認めがたい者」に該当するか否かにつき判断するに、本件では、前記のとおり少なくとも二三八日以上の事故欠勤が生じたと考えるべきであり、右三〇日を大幅に上回るものであるから、「その情状が認めがたい者」に該当するものといわざるを得ないというべきである。

四  再抗弁(不当労働行為の主張)について

1  原告の反論及び再抗弁3(不当労働行為)の事実のうち、昭和三六年八月に住化労組の名古屋支部が結成されたこと、同四〇年に二二日間のストライキが行われたこと、同年、被告住友化学において労政部から勤労部へ組織改正が行われたこと、同被告が林に対して京都大学への派遣を命じたこと、原告が同四四年一〇月二一日の国際反戦デーの闘争に参加したことは、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、(証拠略)を総合すると、以下の各事実が認められる。

(一)  住化労組は総評、合化労連に所属する労働組合であり、原告は入社以降本件解雇に至るまで同組合の組合員であった。

そして、合化労連は、その綱領に「われらは、人類の福祉と繁栄のため全世界の労働者とともに社会主義社会の実現と平和擁護のために闘う。」旨定め、右のような考え方から、安保条約などの政治的な問題についても集会、街頭行動等の行動を提起し、組合員もこれに応じていた。

(二)  昭和三七年ころ、住化労組名古屋支部が設立され、同年八月には、同支部に、二九歳以下の青年及び婦人全員で構成される青婦部が発足し、原告は、その幹事、教宣(教育宣伝)部長となった。同三八年も同役職に就き、さらに青婦部中央協議会の中央協議員にもなった。原告は、支部青婦部の機関誌「つぶやき」を発行し、講演会、学習会などの計画などを主として担当し、その他現場でのオルグ活動を行っていた。そして、昭和三九年の年末一時金闘争では林と原告が中心となり青婦部を指導した。

また、原告は社会主義青年同盟(以下、社青同という。)に個人で加盟していたが、昭和三八年二月、愛労評からの指示で東邦製鋼の争議の支援に行って逮捕され、住居侵入建造物損壊罪により起訴されたが、同事件は、最終的には全面無罪となった。

そして、昭和三九年には、支部青婦部は愛化協に加盟し、同四〇年九月に原告は愛化協青婦部の事務局長となった。さらに、同四〇年五月に支部青婦部は愛知県反戦青年委員会にも加盟し、原告は、同委員会の集会やデモに参加するなどの活動をした。

(三)  住化労組は、昭和四〇年の春闘において、大幅な賃上げを要求し、二二日間にわたるストライキ(但し、被告住友化学との保全協定により名古屋製造所においてストライキを実施したのは、事務所、応用研究課、第二製造課の電極工場、工作課のみ)を行った。そして、支部青婦部員は、名古屋製造所正門前でのビラまき、職場回り、リボン・腕章の着用、プラカード作り、社宅でのオルグ、右正門前でのデモ、不当労働行為摘発運動など、その先頭に立って活動した。そして、住化労組は、東洋高圧の労働組合とともに当時合化労連の両輪と評されることもあった。

(四)  右ストライキ以後、被告住友化学は、右ストライキは住化労組が交渉を途中で放棄し、合化労連のスケジュール通りに行われた点で遺憾であり、同組合に対し真剣な反省を要望し、全従業員に労使関係の改善を求める旨訴えた。そして、同被告は、昭和四〇年七月一日、組合対策の偏重の従来の労務管理を反省し、労使(組合)関係の基礎は職制による日常的接触を通じての従業員管理の一層の充実にあり、これを徹底的、効果的に実施できるような現場体制の確立と勤労スタッフ部門の積極的な協力体制の確立が不可欠であるとの認識のもとに、従来の労政部から勤労部へと組織変更を行った。

そして、同被告の労務施策資料の「各課で実施して頂く労務管理施策の概要」と題する書面には、「実施事項2個別把握」の「部下対象者」を対象とする項に、「部下監督者(主任、担任、職長)全員を掌握し、会社指向的に指導する」と、「労使関係面での部下不良者」を対象とする項に、「労使関係面での不良(思想、行動)者をはっきりつかむ。不良者に対してはラインを通じて説得する。救い難い場合はローテーション」と、その備考欄には、「他課へ配転を要すると思われる場合は庶務と連絡を密にする。」と、そして、「実施事項3評議員対策」の「部下良識者」を対象とする項に、「部下良識者が評議員に選ばれるよう考慮を払い処置をとる。」と記載され、また、右各施策に要する費用は原則として一定額を同被告が負担する旨記載されている。

さらに、「昭和四〇年を振りかえって」と題する同年一二月付の同被告勤労部の文書には合化労連の産業別統一スケジュール闘争方式及びこれにそのまま従って前記ストライキを実施した住化労組の闘争至上主義に問題があった旨指摘し、また、東洋高圧労組が同年八月に合化労連の路線を離脱するような独自の運動方針を採択し、新役員の選出がなされたことを評価し、住化労組も体質改善されることを要するとし、昭和四一年を迎えるにあたって話し合いによる平和な労使関係の確立を目標とする旨の記載がある。

(五)  昭和四〇年六月二六日被告住友化学は、当時応用研究課に所属し、支部青婦部長として前記ストライキの名古屋支部の中心的役割を果した林に対し、同年七月一日付で京都大学へ委託研究生として派遣する旨の内示を行った。しかし、住化労組本部及び同名古屋支部は、これを組合に対する支配介入であると判断し、八月末の中央定期大会において「名古屋支部青年婦人部長不当派遣反対闘争推進決議」を全会一致で採択し、中央委員会において支部独自でスト権を行使する体制をつくることも決定された。

ところが、同被告は、同年九月二日、再び林に対し、同月一四日から一年間の京都大学への派遣の内示を行った。これに対し、支部青婦部は、派遣には絶対反対の決議をし、同月一〇日に行われた支部のスト権投票で投票数の六二・四パーセントの賛成を得てスト権が確立され、同日の中央委員会でも支部のスト権が承認された。そして、その後同被告と交渉を進めてきた住化労組本部は、同月一三日に至って方針を変更し、翌一四日に「派遣問題は第三者機関に任せ、派遣命令に応ぜよ。」との本部指令が出され、支部評議員会もこれを承認した。

右のような経過の中で、支部組合員の中では、この問題について、(イ)そもそも反対しない(労使協調派が中心)、(ロ)派遣には反対であるが、一応派遣に応じ、地労委で争う(執行部派、民同が中心)、(ハ)スト権を含めた実力闘争で反対する(原告ら若い青婦部の労働者が中心)の三つの考え方に別れたが、原告は、当時同被告が合化労連の批判を行っており、派遣は合化労連から脱退させるための組織破壊攻撃であると考え、派遣絶対反対の立場から「林君を守る会ニュース」の発行などの活動を行ってきた。

なお、林は右派遣を拒絶したため、これを理由に同年九月二九日に懲戒解雇された。そして、林は、右懲戒解雇の無効を主張し、名古屋地方裁判所に地位保全の仮処分申請をなしたが、同四二年三月二四日、右懲戒解雇は有効であるとして、申請を却下する判決がなされた。また林は本部指令に従わなかった点で機関決定違反、闘争指令違反を理由に支部制裁審査会に告発され、原告がその弁護人となって審査が行われたが、翌年になって一年間の権利停止の処分がなされた。また林が支部の評議員であったことからそのリコール問題が生じ、原告はそのパネルディスカッションの際、リコール反対の側のパネラーとして参加したが、結局、林の評議員のリコールが認められた。

(六)  そして、前記のような同被告の労務管理施策に基づき、同四〇年、職制あるいは組合員を対象として外部講師によるマルクス主義批判の講演会が開催された。同年一〇月末ころには、三河三谷の温泉旅館に各課の担任などを集め、外部講師を紹き、会社の意向に沿わない者についての「嫌な奴対策」と称する労務管理の研究会がもたれ、原告もその対象とされ、議論されたことがあった。さらに、原告の所属する電気課においては、所属の従業員のうち、前記の良識者と不良者とを色分けし、そのラインが確立されたか否かを示す図面が作成され、その図面には原告及び山本が不良者を示す赤色で表示されていた。

(七)  第一製造課操炉班に所属し、昭和四〇年ころ、支部青婦部の教宣部員であった田中は、同年一〇月ころ病気(腰痛)のため四国の新居浜に帰省していたところ、上司である千羽鹿一課長代理が、右田中の父田中信夫に対し、同年一〇月一一日付で「最近職場に左翼の急進分子の青年ができ、英教君もこれらのグループの中で研究一途のものが見受けられるから、考え方を変えるよう、お父上からゆっくり話して頂きたい」旨の書状を、被告住友化学の名前入りの用紙と封筒を使用して郵送した。

右田中は、同年八月前後に、主として第一製造課の従業員の欠勤について、同被告が懲戒委員会にかけて問題にする旨言い出したのに対して、第一製造課は外気より一〇ないし一五度高温で、休憩時間も実質的には保証されていないと考え、処分者を出すことに対する反対運動を行っていた。また、その後同人は休憩時間が規定どおり与えられないことにより損害を被ったとして損害賠償請求の訴訟を提起し、その主張が認められ、一部認容の判決を受け、最高裁判所の判決により確定した。

また、同人は、右病気で帰省する以前は操炉班の特別交替勤務(一般交替勤務の者を指示命令する役職)であったが、戻ったら半年くらい雑作業となり、その後操炉作業に戻ってからは一般交替勤務になった。

そして、第一製造課操炉班では、同四二年ころ上司(担任)が所属の部下に対し、総評及び合化労連に対する考え方や全学連の行動に対する考え方を調査したことがあった。

(八)  その後、本部、支部、支部青婦部のいずれも次第に労使協調派が勢力をもつに至り、昭和四三年に、組合本部では従前の執行部派(民同)が役員選挙に敗れ、労使協調派が全役員を占めて主導権を握り、同四四年には、支部青婦部の役員が労使協調派によって占められることになり、同四五年には支部でも、執行部派(民同・山中派)が立候補せず労使協調派の全面的支配するものとなった。

右の労使協調派の全面的支配になってからは、住化労組は合化労連の統一的闘争には参加せず、加盟はしているものの独自の行動を行うようになった。住化労組の綱領も「社会主義社会の実現」とあったのを「住みよい社会の実現」と改定し、日本共産党及び新左翼とは一線を画し、反戦青年委員会の活動も排除することになった。そして、大幅な賃上要求は間違いであるとの考え方に立ち、一時金の要求について要求額を提示しない無額面要求というものがなされたこともあった。また、従前は、支部と支部青婦部とが別組織としての要素を持っていたが、青婦部は支部の一部署であるとして組織単一化の方向へ組織改正され、青婦部は文化体育以外の春闘や一時金闘争で独自の行動をとることができなくなった。

そして、右以後、原告らの活動は少数組合員としての活動となり、合化脱退阻止などの活動を行った。原告と考え方を同じくするメンバーは、山本、田中、鈴木熙であった。

なお、昭和五一年の前記営業譲渡の後、しばらくは住化労組のままで、同五三年ころ、住友アルミニウム製錬の労働組合となったが、同組合は合化労連に加盟しなかった。

(九)  山本は、昭和四四年一一月一六日の佐藤訪米阻止闘争に参加して逮捕されたが不起訴となった。そして、山本は右行為により、被告住友化学から同年一二月一五日に一〇日間の出勤停止の懲戒処分を受けた。そして、山本及び田中は、同年一二月一二日から同四五年一月一六日まで殆ど連日、右出勤停止処分の抗議のビラや、政治闘争のビラを配布し、これを理由に山本は同四五年一月一六日に一五日間の出勤停止の懲戒処分を、田中は同月一七日に一〇日間の出勤停止の懲戒処分をそれぞれ受けた。そして、山本及び田中は、右出勤停止の懲戒処分の無効確認等を求めて訴訟を提起し、その無効を認める判決が確定した。

そして、山本は、前記の第一回目の出勤停止処分の期間満了後である同四四年一二月二六日に出勤したところ、電気課工事班から技術班に配転され、工業高校卒業の学歴で英語が余り得意でないのに英語の翻訳を担当させられるようになった。また、田中も右出勤停止後の同四五年一月二七日に出勤したところ、操炉作業に就くことができず、窓みがきなどの雑作業を担当させられ、その後も操炉作業には戻ることができなかった。さらに山本はその後私病により休職し、休職期間満了により解雇となった。

以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  右の認定のように、同被告において、昭和四〇年のストライキを契機として、それ以後、住化労組の体質改善、すなわち同組合を合化労連の路線から離脱させ、これと労使協調の労使関係を確立すべく、その労務管理施策の一環として、同組合の評議員の選出についても良識者(労使関係面でその思想、行動が穏健であると同被告が判断する者)が選出されるような配慮をし処置させることとした結果、住化労組はその後労使協調派の支配するところとなり、なお合化労連に加盟はしているものの、その路線から離れ、独自の活動をするようになったこと、これに対し、原告らは、合化労連の路線に従う組合活動を主導的に行い、その後は合化労連からの脱退阻止の主張をし、そのような活動を行ってきており、被告は同被告から労使関係面における思想、行動の不良者として把握されていたことからすると、同被告が原告及びこれと考え方を同じくする者に対して嫌悪意思を有していたものと推認するに難くない。

しかしながら、当時、同被告は、原告が約三〇〇日間に及ぶ欠勤をし、執行猶予付とはいえ懲役刑の有罪判決を受けた事実を重要視し、これを根拠として原告を普通解雇にしたものであり、かつ、事前に、前記認定のとおり、懲戒委員会の審議に付しているのであるから、それは懲戒解雇の場合の手続を免れる目的でなされたわけではなく、右のような事情がある場合には普通解雇とすることは一般的に相当といわざるを得ない。また、仮に、原告のように積極的に組合活動を行っていなかった者が、同一の事案を引き起したとしても、本件解雇のような経過を経て同一の措置がとられたものと推測されるのである。

従って、右の点を考慮すると、前記の事情をもってしても本件解雇が原告が組合活動をしたことの故をもってなされたものとは認めるに足りず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

よって、本件解雇は不当労働行為に該当せず、有効というべきである。

五  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川端浩 裁判官 棚橋健二 裁判官 山田貞夫)

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